ほのぼのおやじんのひとり言

保育園に務めている経験を生かして、保護者支援や子育てについてのブログをメインにアップしていきます!

子育ての苦い思い出 〜おとなの夢がこどもの夢ではなくこどもの夢がおとなの夢であってほしい〜

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皆さんこんにちは(*´∇`*)✨✨

ほのぼのおやじんです。
テレビやネットなどで、スポーツや芸術などの分野で活躍する人の影響でこどもの習いごとのブームが来た!などのニュースや記事を見かけると、私の過去の子育ての中で、長男に過度な期待をかけ辛い思いをさせた出来事を思い出します。
今回は、私の子育ての中で実際に起きた出来事をお話しします。

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①身体の小さな野球少年

私の長男は小学2年生から野球を始めていましたが、周りの友達より身体が小さく、身体が大きな友達に比べて力が弱いと言うことに悩んでいました。

小学校4年生のある日、コーチから身体の小さな長男に『サイドスロー』という横投げを教えてもらいました。

長男はサイドスローを練習し、小柄ながらスピードのあるボールを投げるようになり、監督から『投手』として抜擢してもらいました。

長男はとても喜び、ひたむきに野球に取り組んでいきました。
その姿を見て嬉しくなった私は『長男の夢を応援するんだ』という思いで、長男の練習に付き合ったり応援に毎回参加したりと、今思えば、『自分のこども時代の姿を長男に重ねて』過度な期待を、自分が叶わなかった想いをこどもに押しつけていました。


私が住んでいた地区の少年野球では、投手の投球制限があったため毎試合投手を行うわけではなく、別のポジションも行います。
長男は野手(センター)のポジションも行っていました。
しかし、私は『野手のポジションで頑張る長男』のことより『投手として頑張る長男』を過度に応援し、重要視していました。
オフの日は自主練習に付き合い、試合には毎回参加。負けたら反省会。
試合で活躍した時にのみ認めるという厳しく『自分勝手な情熱を押しつけて』いました。

 

②中学校に進学

長男が中学生に進学する時も、『硬式野球』『軟式野球』という選択肢のみで『ここで野球を辞めたら勿体無い』と長男に言っていました。
本当は別の道に進みたかったかもしれません。

長男は部活の軟式野球を選択しました。
中学生になると私の応援もエスカレート、『投手としての』長男を認めて『野手(センター)』としての長男にはあまり興味を示しませんでした。
中学生2年生の前半から少しずつ長男の様子に変化が見られました。

 


長男から『少し練習を休みたい』と言う声が聞かれるようになってきたのです。
また、試合中投手で登板している時に、明らかに力を抜いた投げ方をして顧問の先生に注意を受ける姿も見られるようになりました。
その時期は、新人戦で県大会3位という成績を収め、長男がいた中学校では大ニュースになっていました。後に聞いた話しですが、担当顧問の先生も県大会3位は初めての経験で、こどもたちの可能性にとても期待していたとのことでした。
こどもたちへの期待に私たちの応援も更にエスカレート。
『頑張れ』『諦めるな』『やればできる』と声をかけ続けていました。
もちろん私は、長男の『少し練習を休みたい』という訴えに耳を傾けることはありませんでした。

 

③アクシデント発生

ついに、中学2年生の冬に長男にアクシデントが起きました。
『肘が痛くてボールが投げられない』
スポーツ医学で有名な病院で診察してもらった結果、『肘関節の疲労骨折と関節の隙間が広がっている』とのことでした。
小学生から身体の小ささをカバーするために行っていた、サイドスロー(横投げ)でボールを投げていたことが原因でした。
また、『ここまでどうして放置していたのか』と言われてしまいました。
あとから妻に聞いたのですが、以前より長男は肘の痛みを訴えていたのですが、『ライバルに負けられない』『投手として頑張らないと』『父ちゃんに認めてもらう』と湿布を貼って、痛み止めを飲んで無理をしていたそうです。

『少し練習を休みたい』と言ったことも、試合で明らかに力を抜いてボールを投げていたのも『肘をかばっていた』ということでした。
妻は野球を休むことを進めていましたが、『黙ってていてほしい』とお願いされたそうです。

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医師の診断結果は更に、『半年の間は絶対に肘を使うスポーツ等は禁止』とのことでした。
肘関節の隙間が半年後に元に戻らなければ手術とのことで、また治療期間は、最低半年でありそれ以上の期間はかかるだろうとのことでした。
それにより長男は3年生最後の試合に出場できる可能性がほぼ絶望的になり、また中学校最後の運動会には応援以外参加出来なくなりました。体育の授業もランニング以外は見学です。
この結果を受け、私をはじめ妻や顧問の先生、チームメイトが泣きながら長男に謝りました。
しかし、一番辛いであろう、泣きたいであろう長男は笑顔を作って『可能性があるから信じて出来ることをやる』と答えてくれました。

 

その後の長男は、野球の練習には毎日参加し、ランニングや玉拾い、後輩の指導など、試合ではベンチから誰よりも大きな声で声援を送り『自分が今できること』精一杯行っていました。
毎日の長男のひたむきな努力が実り、中学校最後の試合には『野手』としての参加を医師から認められて出場することができました。
顧問の先生初め、チームメイトに笑顔で迎えられ、楽しくプレーする長男の姿に、私も『投手』ではなく『野手』としてプレーする長男を精一杯応援し、試合後感謝の言葉をかけました。

 

④その後

時は過ぎ、高校進学時に『野球から離れてハンドボールをやりたい』と長男が相談してきたので、私は『大丈夫!好きなことを思い切り楽しんで』と答えました。
高校での3年間、何度も怪我をして何度も病院に行き、長期間の車での送り迎えもありましたが、長男にとってはとても楽しい3年間を過ごしたようでした。

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最後に、私は勝手に『自分の過去の姿を長男に重ね』て、親の勝手な夢と想い『投手で頑張ってほしい』を長男に押しつけてしまいました。その結果、長男は『投手』の自分を認めてもらいたくて、『結果』に応えようとして怪我をしてしまいました。
私が『投手』にこだわりすぎて、長男が野球を『楽しむこと』を奪ってしまいました。

『良い結果』も『悪い結果』もすべてを受け入れて、『結果』だけではなく、『結果までの過程』を認め支えてあげないといけない私の存在が、上からプレッシャーを与えるだけの存在になっていました。


『おとなの夢がこどもの夢になってしまった』
そう強く反省しました。

 

『こどもの夢がおとなの夢』


こどもの夢を後ろで見守り、余計な口出しをせず、困っている時にそっとサポートすることの大切さを野球を通して長男に教えられ、今はその思いを忘れず日々を過ごしています。


私が単身赴任で引っ越す前日に、初めて長男からキャッチボールの誘いがあり、2人だけでキャッチボールを行った思い出は、私にとってはかけがえのない最高の思い出です。


そんな長男も今では社会人、朝5時に弁当を作って夜遅くまで頑張っていると家族から聞いています。
私の自慢の息子です✨


最後まで読んでいただきありがとうございました。(*´∇`*)